伊弉諾神官(神社)兵庫県津名郡一宮町多賀。 旧官幣大社(現、別表神社)。伊弉諾命・伊弉冊命を祀る。伊弉諾命が淡路島を生み、群神を生み終えて幽宮を淡路之洲に営んだのが、当社の始まりという。従って、古来、淡路島神とか津名郡に坐すので津名神、また鎮座地が多賀というところから、多賀明神、多賀宮、あるいは島神などとも称された。履中天皇が、狩をされた時、罪人が随行したので、伊弉諾大神は、祝に託して血臭に堪えないと告げられたといわれ、また允恭天皇が狩をされた時に、獲物がなく、占うと、赤石の海底に真珠というものがあるので、それを取って祭りをすると獣をとることができようという御教があり、その通りにすると獲物が多かったとも伝えられている。 平城天皇の大同元年(八0六)には神封一三戸が充てられた。清和天皇の貞観元年(八五九)には、無品勲八等伊佐奈岐命に神位一品が授けられ、延喜の制では、名神大社に列せられた。平安時代末期より、淡路国の一の宮となり、一宮大神とも称せられるようになった。明治に至り、四年に国幣中社、同一八年官幣大社に列した。昭和七年に伊弉冊命を合祀、同二九年、伊弉諾神社と称していたのを、現社名の伊弉諾神宮と改称した。例祭四月二二目。特殊神事として正月一五日には粥占祭、六月一日の御田植祭、七月半ば頃には除虫祭等が行われる。
淤能碁呂(おのころ)島の所在地については諸説ありますが、淡路島周辺では淡路町の絵島、
紀淡海峡友が島の沖の島、南淡町の沼島、三原町のおのころ島が比定地としてあげられています。
国生み・神生みを終えた伊弉諾尊は淡路で崩じ、幽宮(かくりのみや)が設けられました。
これが津名郡一宮町にある伊弉諾神社で、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神をまつり、淡路国の一の宮となっています。
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